tokyo-photo.net 20周年、暗室つくって銀塩プリント再開したよ。

ふと思い立って、というより、ちょっと催促されてる感が強まってきたこともあり、その他あれこれ状況が重なって、数年のブランクを経て暗室を作った。

なんで何年ものブランクが生まれたのかは、おいおい語ることもあるとして、まぁ、喜ばしいじゃないですか。

暗室の工作自体は、2023年の初頭から具体的にスタート。
自室の中にスペースを確保するところから始まる。

日曜大工はまあまあできる。
他、印画紙をはじめとした資材をしまう棚も作った。

暗室スペース内の照明、セーフライトは今回、LEDにした。
12Vの電源ユニットを用意して、結線する。

スペースは右が引き伸ばし機を置くドライゾーン、振り向いて左が現像作業テーブルで、双方に2灯づつ、白色灯と赤色灯を配置。
男のロマン、トグルスイッチで、ドライゾーンの白色灯、ウェットゾーンの白色灯、ドライゾーンの赤色灯、ウェットゾーンの赤色灯の4系統のON/OFF。
また、白色灯と赤色灯の2系統に分けて、調光機で明るさを調整できるようにしてみた。
まぁ、この辺は使いながら改良をしていけばいいね。

とまぁ、これでだいたいできたはずだったんですが・・・。

スロットプロセッサーを作業台の上に置いてしまうと、なにかとやりずらいというか、もっとスマートにできんかなぁと考え始めた。

これはいいね。自画自賛。

と、3月にはあらかた完成していた暗室ですが、ここからがまた長いのよね。

暗室周りの工作をしてたら、日曜大工が楽しくなっちゃって、大掛かりなものを作ってたらあっという間に2ヶ月が経っていた。

そしてなぜか・・・・

インクジェットプリンターを買うのだった。
暗室つくって銀塩プリントするんじゃなかったのかよって感じ。

そのうえ、銀塩をちょっとディスる。

そう、実はこれをやりたかったのだ、まずは。

暗室作って銀塩プリントを再開するとして、以前と同じことやってもしょうがないだろ、というふうにはずっと思っていた。

再開するにして、なにやるの?っていう話よね、そもそもね。

さて、フィルムの現像とか、暗室でのプリントとか、そういうのを始めてあらかた30年くらいになると思うんだけど、途中何回か辞めちゃって、ブランクをおいて再開してきてる。今回のブランクはちょっと長めだけど。

ブランクがいくらかあるとはいえ、まぁ、こういうサイトを独学で書くくらいには経験を積んでるし研究もしてきてるので、わかりやすく言えば、思い上がりと言われてしまえばそれまでだけど、なんかもう学ぶことがあまりなくなったよね。
いや、あるんだろうけど、それこそ、So What ? なわけ。とくにフィルム現像についてはね、ただただ面倒臭いだけ。
たいていの面白そうなことは、もうとっくの昔にやった。ほとんど毎日のようにフィルム現像して、毎日のように暗室でプリントしてたんだもの。それだけ撮影もしてたわけだしね。

そもそもけっこう昔っから、実を言うとフィルムで撮ることにこだわりはないんですよね。
フィルムで撮るのかデジタルで撮るのか、それはどっちでも良くて、最終的な結果がいいほうを選ぶだけっていうのは、ものすごくフィルムで撮って、ものすごく暗室でプリントしてた時期ですら思ってた。

じゃあ、最終的な結果ってなんだ?ってことになるけど、これはボクの口癖、やっぱり20年前から同じこと言ってる「最終出力だけが大事」っていうの、そのもの。

例えばね、写真を撮って、その発表の場がInstagramやTwitterなどのSNSなのだったら、そんなのデジカメで撮った方がいいに決まってるじゃないですか。SNS用なら画素数なんて今時のデジカメだと余りに余りますよね。

いや、フィルムで撮った時の空気感が・・・とか、フィルムでしか撮れないほにゃらら・・・とか、SNSに写真を掲載してる昨今のフィルム写真好き界隈でもしょっちゅう見かけるけど、あぁ、なるほど、フィルム人気が再燃してるのもまた、スピリチュアル系ってことなんだなって思ってます、悪いけど。

最終出力、デジタルじゃん。オールドレンズの味わいが・・・とかいうのも同じで、なんぼでも加工できるし再現できますよ。
いやいや、フィルムで撮らないとこうはならない、というのなら、そりゃ画像編集技術が未熟なだけで、上手な人なら出来ちゃうよな・・・。

・・・いや、この話は今はやめときます・汗

やめときますけど、135フィルムだったらもう、デジカメにはありとあらゆる面で敵わないよね。カメラやレンズの性能も含めたらさらに圧倒的だよな。
ただ、中判、大判となると、まだ話は違うんだよね。その話もまた後日ね。

話をもどして、最終出力がなにか、って言うところね。
SNSだったら、ボクはデジカメがいいと思うんだけど、ボクにとっての最終出力は銀塩プリントなんだよね。これだけは昔と変わらない。
もちろん、その銀塩プリントをスキャンなり撮影なりしてSNSに掲載したりもするのだけれど、途中に銀塩プリントを経ての表現になるし、本来の最終出力であるプリント本体は、バインダーにしまってあったり額装して壁にかけてあったりする、実体のある「モノ」になる。これが大事。

フィルム写真の自家処理っていうのが楽しい、作業として楽しい、工程として楽しい、っていうのはもちろん理解してるしボクもそうだったけど、フィルムでの撮影やフィルム現像に関してはもう、ボクは飽きました。とっくの昔に飽きました。

ただ、ボクはフィルム写真ということにはこだわりがないけれど、銀塩プリントということにはこだわりがある。
こだわりもあるし、フィルム現像などと違って、銀塩プリントの作成はまるで飽きない。まだまだ全然やってないこと、やれてないこと、工夫のしどころ、未知なものがたくさんある。

だけど、先にちょっと書いてあったように、インクジェットプリントをみて、これならもうRC紙は要らないな、とマジで思う。
やったことないんで、いずれ試してみるけど、たぶん、それなりのプリント用紙を使えば、もっといい感じのものが印刷できるんだろうなとも思う。

ボクにとっての、こだわりのある銀塩プリントっていうのは、たぶん、他の多くの人というか、ほとんどの人が作っている銀塩プリントとは違うかもしれない。実際、プロの講師の方や写真作品のバイヤーさんに、デジタルプリントだと勘違いされたこともある。

それには、現行の印画紙では簡単には出来ない技法を使ったりするので、買い込んであった手持ちの印画紙の在庫がなくなったら、もうそれで終わりなのかもしれない。
あるいは、現行の印画紙でも可能な、だけど他の人があまりやってないような技法を使うようになるかもしれないけどね。

いずれにしても、ボクの最終出力は銀塩プリントで、その作成過程がフィルムでの撮影なのか、デジタルでの撮影なのかは関係がない。都合の良い方を選ぶまでのこと。
大きなプリントを作るのに解像力が必要なら、まだデジカメでは追いつかないので中判か大判のフィルムを使うし、そうでなければデジカメの方が圧倒的に良いし。

というふうに、どうしよう、そろそろ暗室つくって写真活動を再開しようかしら、と思い始めた時、というか、そろそろ写真やっちゃどうだって知人に煽られ始めた頃には考えていたわけ。

実際には、長いブランクに入る前の、だいたい10年前くらいかな?にはもうデジタルネガで作品を試作していて、けっこうイケるじゃん、というのはわかってた。
なので、その続きをやろうというのがひとつ。

他にも、以前に手がけていたのだけれどやりこなせてないというか、まだ未完成の技法だったり、活かせてないアイデアとか、知ってはいたけど試せてなかったこととか、気になってたこともあれこれあるので、そうしたものにも少しずつ、一応のケリをつけていこうと思ってる。

tokyo-photo.net 、開設20周年なんだよね。それだけ歳もとったわけよ。
まして、ボクは不治の病にかかっていて、あと何年生きられるかわからないのです。30年は無理だと思う。20年だって怪しいのだから、死ぬまでに手持ちの印画紙を使いきらないと、バチが当たるよね、きっと。